私自身が12歳まで絵は大の苦手だった
でもある時、おさぼり出来るクラブがあると友達に誘われて聞いて
美術クラブに参加。

それが運命の分かれ道

持って帰った私の写生をみたその教諭が一言

「この絵は褒めるところがない、だから努力すれば必ず上手くなる。
でも、この瓦屋根の色がいいなぁ」

これが殺し文句で、純粋な(今も)・・・・・・
私は絵を描くことに興味を覚え、課外授業が本命になり、
いつの間にかその道を生涯学習に選んでしまった。

誰だって最初はグー・・・・・  じゃないパーです、何もありません。
才能の99%は努力だと天才と言われたエジソンも言ってますから

先ず行動する事が何よりも自分の隠れている才能を育てる唯一の方法です。

「ヘタだなぁ」と言われたら
「だから何なの?」と言う気持ちが大切、自分は自分,人は人なんですから。

行動して批判するならそれなりに得るところもあるけど
単なる評価は聞く意味が無い
「どこがどのようにヘタなのか教えてよ」と言えば、説明に困るはず

だって、その人にとってヘタだという意味と理由しかないはずですから

批評する人は、たいてい何が基準なのかさえ持ち合わせていないでしょう?


1枚描いたら、次はもっと上手くなる、それが継続という物

その継続を引き上げるのが指導者だとおもいます。


私の絵手紙と他の絵手紙の決定的な違い

それが「絵と字、言葉が一体となって初めて完成する

この言葉に尽きると思います。

① 絵を描くには、描きたい物をどのように捉えるか

② どう表現するか

③ 感じたものをどんな言葉で補足するか

④ 言葉の配置や空間の把握

⑤ 絵の感性

⑥ 構図やバランスの取り方、考え方

⑦ 絵と文字の配置の感覚、感性

⑧ 印の押す場所と意味


⑨ 絵と文字で何を伝えられるか、提示できるのか

これらの事を、この講座は初めから、説明に従って学ぶ事で、上達が約束される

絵に関することだけではなく、様々な一般教養の素養を取り込むことで、
隠れている一人ひとりの素質を目覚めさせながら、より高みへと導く

私がこれまでに培ってきた技法や捉え方、感じ方考え方を学ぶことで、
その時から絵手紙を教わる方はそれらを得ることが出来るのです

その分、私は奥義?を全て晒すのですから、手元には何も残りません
自分自身更に研鑽をつまなければ、その上に進む事も出来ないのです。

これをハングリーな状態と言っているのです。



絵や音楽は癒されるものでありたい

少なくとも美しくしい物でありたい、、これが私の絵手紙の原点です。
自分の表現や意思を表す方法ではありません。

感じたことを感じたように描き、言葉を選ぶ

見てくださる相手の方が、どう感じ、思いを巡らせるか
その余地を残すこと、不足の美

お茶に用いる楽茶碗は、「手捏ね:てぐすね」と呼ばれる手法で造られている
この茶碗の特徴は、ロクロを使わず手でひねりながら作るのでイビツな形になる

このいびつさは、完全ではない人間の、おごらぬ様を感じさせ
作る者の不完全さ、茶を建てる物の未熟さ、

それらを飲む人の真心で円くなす
 和合の精神を内在している。

全ての道は、ここに行き着くと想います。



黒楽茶碗

鑑賞者の気持ちを添えることで完成する・・・・・

私の絵手紙が目指すところは、実はここにあると言っても過言ではありません。


絵は、何も描かなければ単なる白く限定された空間でしかありません。
でも、其処に、ポタリと墨がこぼれたら

紙は生き物になるのです、それは空間が認識させられるからです

その墨がこぼれた大きさや位置、色合い、形で更に多くの感覚が生まれます


形とは形に血が宿るところから生まれています。
ですから型と区別して使われるのです。

型は複製が基本にありますが、形は一期一会、二度と同じものはありません。
これが価値観です。


紙に下ろされた、たった一つの形や色、それが残された空間に
どのように影響するのか
その部分の感じ方を感性と呼ぶのです。


これも制作しながら磨いて行けます。

私の絵手紙講座は其処まで追求して学ぶ事を基本においています。

でも決して小難しい話ではなく、読み物として読んでも知識が増します。



ある時絵手紙の生徒さんに「この紙の色は何色?」と訪ねました。
全員「白で~す!」 
「正解!でも間違いです。」

「エッ どうして間違いなんですか?」

そこで私は、更に白い紙を取り出して、先ほどの紙と比べました。
「どっちが白いですか?」

「う~~~~~ん 後のほうです」

そうなんです、白いと思っているのは思い込みなんですね。
正しい答えは「白っぽい」ですね。

こうして、物事には常に複数の捉え方、感じ方があるという事を学ばせます。

また、絵手紙指導で絵の具は極力混ぜない!というのが一般的ですが
私はほとんどを混ぜます

これは好みの問題と片付ければそれもその通りでしょう。

ただ,世に言われる味わいのある色は、ほとんど混色です
日本の伝統色である草木染めも純色はありません。


織物作家の志村ふくみさんは「草木の命をいただく」と言われましたが・・・・・
草木は生きています、その生き方は様々で、それが色として出るのです。
今年の桜と昨年の桜では色の出方が違ってしまうそうです。


外国ではよく知られた所の、トスカーナカラー
レオナルド ダ ヴィンチやミケランジェロが活躍したフィレンツェのある地方です。

ここの色合いはとても落ち着いた温もりを感じさせます。
その大きな原因は殆どの色に黒が混ざっているという特徴があるのです。
要するにくすんでいる。

印刷の色指定の時、わずかに黒を数%入れるだけで、ハッとする味が出るのです。


真っ白な花・・・・・でも光を反射すれば白飛びして眼が痛くなります
俗にいうピーカンでは、写真家は決して撮影しません。

写真で言えばホワイトバランス、基準では18%グレーが基本的な白色です

ピーカンは光という魔物に負けるから避けるです。

半日陰・・・・・
これが一番物を美しく見せる基本的条件です
人間も、少し翳りの感じられる方が謎めいて魅力的だと言いませんか?
紙によっては「生成り:きなり」と言うのがあり、何故か気持ちが落ち着きます
少し色が黃味を帯びたもので、白く晒す前の製品
つまり自然の色なのです。

あるがまま・・・・・この言葉の響きも素敵でしょう?

「今日あって 明日炉に投げ込まれる花でさえ 神はこれほどに装ってくださる
栄耀栄華を誇ったソロモンでさえ これほどに装う事はなかった」

これは聖書の一節ですが、あるがままの大切さを言っているように思います。

自然は媚びることをしません
だからこそ素直に心に入ってくるのだと思いませんか?


絵を描く時は光と影に心を配ります。

少し斜めに光を受けると、微妙な陰影が生まれます。
それが立体感を感じさせる部分です。

葉っぱ1枚でも、反り方や見え方で複雑な顔を見せます

指導していていつも思うことは「観ているようで上っ面」
なんとなく認識と言うパターン


それを深く認識することで、秘められた内面や持っている意思が理解できるのです。
それが、たった一枚の葉先にも生きてくるのです。

絵手紙用 道具あれこれ

墨・硯・紙・筆 この4つが様々な書き味に妙味を与えます。
高級だから良いという発想は全くといって良いほど役にはたちません。
書家などは「文房四宝」と呼んで、色々な組み合わせをします。

これを語るだけでも1冊の本になるほどですから、あまり深く考えないで、
まずは指導者の奨めるもので良いと思います。

私は、絵手紙にいくつかのこだわりがあり、使うものもほとんど決まっています。

これはそれぞれ作家の好みもありますが、
基本的には顔彩を用いる事が多いと思います。
顔彩も幾種類かありますが私は吉祥の物をお奨めします。
色目に深みがあります。
金箱のほうが発色が深い。


顔彩(がんさい)
吉祥金箱35色

一般的な顔彩は、水干(すいひ)絵の具と言って、泥絵具を砕いた物
水に溶かし、沈殿物を乾かしたものを、ニカワと澱粉で固めたものです。

近代では白土や胡粉に染料を加えて加工したものもある。

溶けやすく発色も良い利点がある。
欠点は色の深みに欠けるきらいがある。

したがって、表装などする時に本格的な表装だと、しっかり水を打ちますが、
その時色が水に溶け出して散ってしまうことがあります。


表具の上手下手は、簡単に見分けができます。
いくら高価な表具でも、表具師の腕は又別です。
上手な表具師が装幀した物は、いくら時間を経ても、常に真っすぐに下がります。


表具の左右が手前や後ろに反っているものは、決して上手だとはいえません。
幾重にも重ねて仕上げる表装は、水を打ってハケで叩き出します。
この時均一に叩かないと反りが出てしまうのです。


上手な表具師の仕事は、紙の中に沈んでいる色まで表に響かせます。
文字がふっくらを厚みを感じさせるのです。


上手な表具師だと、1枚の絵を4~5枚に剥ぎ分けます。
本物の絵が複製できるのです。
さすがに4枚目あたりは少々色が薄くなりますが、1枚の書画を剥がすのです。


実際剥がしたものを何度か目撃しましたが、比べれば分かる程度・・・・・

上手な表具師が表装したものは、それだけ紙の中に色や墨は食い込んでいるのです。

書家が「畳何枚貫いた」などと話してくれますが、
この奥深い部分までを、幾枚かに剥がすのです。

これは硬度なテクニックも必要ですが、良い紙でなければ難しいそうです。

理屈は判るのです、紙は幾層にも重ねられて1枚の紙になります。
その層を、一層づつ剥がすのですから全て本物です。




  膠=ニカワ液

膠は一般には三千本(牛)や牛脂や兎脂、魚脂ですが、高級品は鹿膠です。
脂質も上等です。


目的を持って、場合によっては更に濃い目の膠液で溶かして使うほうが
良いことも知っておくと良いでしょう。

ただ、普通にハガキなどに絵手紙を描く時は問題になることはありません。

通常入手しやすい絵具は不透明水彩・透明水彩でしょう。
これは顔料をアラビアガム(膠着剤とかバインダーと呼ぶ)で、固めたもので、
アラビアガムの混入が多いほど透明感が増す。

それで、透明水彩と不透明水彩に区別される。

学童用のものは合成顔料であるために、退色が激しい。

日本画の用いる岩絵の具は鉱物を砕いて用いるもので、発色に独特の物がある
焼き群青などは東山魁夷が好んで用いた色。







筆は日本製の毛は量が少なくあまり出回っていない、
毛だけは中国産北部や、ロシア(シベリア)産がよい。

毛にも、狼毫(ろうごう)=イタチや、狢=ムジナ(アナグマ)、タヌキに狼、
馬耳、羊、リス、猫、ウサギ、ヤギ、鹿、馬耳、豚、人毛などもあり、
それらを組み合わせ、混ぜることで特有の描き味を出すよう工夫されている。


毛は寒いほど良質なので、寒い地方の毛に良質なものが多い。
書道用の山馬筆(カモシカ、トナカイ)は中々面白い、荒々しく使うと妙味がある。
水墨画の作家は、岩肌などに用いる事が多い。



私が好む絵手紙用筆一押し

紅雲(中国産イタチ毛)京都、中里製

これは長年絵手紙で使ってみて、最も目的にかなった万能型の筆
ハガキを限定にしているので、サイズは大々で充分

この紅雲は命毛(先端部の中心になる毛)がよく集る様に工夫されている為
他の物より腰が強いので、穂先を整えなくても重ね描きが出来る。


ノドを使ったテクニックや腹の水の含み加減も充分で、描画技法に重宝する。

逆筆等の荒々しい使い方にも、腰が砕けることなくしっかりまとまリ、
初心者でも上手く描ける強い味方。

もう一つは、文字専用の小細筆キャムロン(東レ、帝人)
イタチやムジナ,白狸も良いのですが、水含みの奥深さはこのキャムロンには
劣ります。

コリンスキー(テン)やセーブル(シベリヤイタチ)は高級品で、
荒っぽい使い方には少し抵抗がある。だって高価だもん!
あくまで見栄を張るならこっちにしましょう!気分が違いますから。

それよりもナイロン特有の加工が程よいまとまりを見せ、
コリンスキーやセーブルよりも水持ちがよく、水の動きも素早くて面白い字に
化ける
愉快な筆、形態の戻りは抜群、

欠点は腰位置がないこと

これは自然毛ではないので先細りがないために、均等な腰になる、
この癖を逆利用することで個性的な文字に仕上げる

   
     紅雲(大々)          キャムロン(小)




先ず最初に、通常のハガキやインクジェット用ハガキは駄目です。
通常のハガキは、平面的で表現力がほとんど出せません。
インクジェットは吸水性が早く、味も素っ気もない物になります。

紙は一定の厚さのものに、何キロの圧力をかけて形成したかで違いが出ます。
通常の印刷物が90キロ前後、アートスパイラルで156キロ
マーメイド 232キロ  コットマン 235~350  
アルシェ356~600キロ


紙厚が同じなら、プレスの大きいほうが強い(固い)したがって、吸水率が少ない。


アルシェが高価なのは全て手漉き作業で作られるからです。
その代わり、塗りこんだ色を完全に抜くこともでき、ケバも出ません。

これは私の絵手紙の描法が荒っぽく、筆にとってはいい迷惑な技法なので、
それに応えてくれるものでなければ技法固有の味わいが発揮出来ません。

絵手紙用の物は使いません、画仙紙なので粗め等の種類がない。

これも描法によるので、絵手紙用の紙を好む方も多いでしょう。
描きあがりを比較すれば一目瞭然、描きやすさの違うことが判ります。
あくまで目的や技法が異なるので、比較することは無意味でしょうが・・・・・

一般に絵手紙用として販売されている紙は,本画仙(中国)、和画仙(日本)
なので、
たいていは販売金額でその品質(素材や製造工程)が判断出来ます

ただ、物によってはドーサ引き(にじみドメ加工)されていないものもあります、
こちらは書家がよく用いるものです。
購入する時は其のところを確認して求めることをお奨めします。

紙によっては、墨を入れたら一気にドンと吸い込んでしまうタイプ、
それが又味わいにもなるので好みで使い分けましょう

もし間違ってドーサが引かれていないものを求めても、表面にミョウバンを
薬局で手に入れて、水で薄めて濡れば、防水効果が出ます。


ミョウバン液を塗布したものをドーサ引きと呼んでいます。
塗布回数によって効果が違ってきます。


ドーサ液

あくまでも絵を描く描法や内容で選択します。

もう一つは、ドーサがしっかり引かれていて、にじみがほとんど不可能な物
こちらは、たらしこみ技法には向いている


たらしこみなどは技法の所で詳しく説明します

私が使う紙は、お薦めがコットマン ラフ(粗め)か、マーメード ラフ(粗め)

アルシェなら最高ですが、普通に使うには高価過ぎます。

コットマンやマーメードは廃番になったということですが、似たものはあります。
少しラフが弱くて紙厚も薄手ですが、アートスパイラル と言うのがあります、
普段使うには手頃です

コットマンは厚さも十分あり、水を多く与えても反らずに安定している。
よく使う技法のたらしこみなども、紙の吸い込みが遅いので充分時間が稼げる

針などを使う特殊な技法もほとんど毎回使うので、
紙の弾力性は仕上がりの大きな差となる

また、洗い出しなどという技法もよく使うので、
紙が薄かったり腰が弱いとすぐにめくれてしまい、全く使いものにならない。

これら絵手紙の技法による過酷な条件を満たしてくれるのが、先ほどのアルシェ、
そして次がコットマン、ミューズと言う順序



     アルシエ ラフ         コットマン ラフ


   アートスパイラル中目           マーメイド ラフ

これをハガキ大に文房具用の裁断機(カッター)で切り分ける。


紙用裁断機


ヤフーオークション等だと1000円前後で手に入る

紙はF6サイズが一番効率が良い、1面でハガキサイズが8枚取れる
裁断後に残る切れ端は、試し描き用に使える程度の面が残る。


その他に必要なもの

水入れ

これは3つは欲しい、なんでも良い、私は透明なペットボトルを4個3分の1に
切って4個をまとめて幅広のセロテープで巻いて使っている。
安定感がよく、水の汚れがつきにくい、筆の水切りもよく切れる、どこにでもある、

古くなれば交換できる、まぁこんなところが良い点です。

一つは汚れた筆を雑洗い用、次に混色する時のチョイ点ける水、
色抜きなどをするためのきれいな水、と言うわけで、予備を入れで
4個あれば充分


よくあるプラスチックやビニール製のものは、汚れが付着しやすく、汚くなる。
たかが水入れですが、用途や効率を考えると、ペットボトルは中々のスグレ物


パレット

これは一番気を使う物の一つ
色を拡げたり混ぜたりする時に、色具合が確認できるもの、
つまり基本的には白色がベスト

材質は瀬戸物でも(皿)プラでもよい(プラは色染残りを起こす)

色を調合するので出来れば10センチ程度の面積がほしい所

私は100均で見つけた使い捨てのパレットを使っている(4枚1組)

理由は、たくさん色を混ぜ合わせるので、皿だと持ち運びにも不便をきたす
これだと、乾けば重ねて持ち運べるので床を取らない

混色した物が次にも使えて、おさいふエコ

欠点、軽いので安定感が少ない、もったいないと残してしまうために場所を取る
そのためには、色を暖色系と寒色系とか・・・・・区別して使う工夫も必要


下敷き

書道用のラシャ布 こちらも御用達の100均である。
黒いほうが落ち着いて感じるが、好みで好きなものを選べばよろしい

なぜ100均かというと、こちらはご丁寧に裏面にビニールが
コーティングされていて、滑り止め効果が抜群

欠点は薄いので少々安っぽい。


リッパー(糸切り用具)


これは私固有の技法の一つ、葉脈などを書き込むのに持って来いの道具
こちらも御用達100均に行けば裁縫用具などの傍に大抵あります。


本当は時計修理用のヒゲピンセットが最高
でも、今時入手は不可能でしょうね、私はこれを40年以上使い続けています。

ピンセット以外に、目打ち、千枚通し、針、釘、用がなくても妻ようじ・・・・・
色々な道具を試しましたが、これが一番使い勝手や力のバランスが保ちやすい
それがリッパーです。

使い方は実践の中で説明します。


海綿(天然物)


これも私特有の使い方があります、これも実技の中で説明いたします。
画材屋さんで水彩用具の一つとして扱っています。
通常は広い面積を一気に濡らすために持ちます。

筆やハケだとむらが出る可能性がありますが、
これだと色を吸い込ませているので、水分を補給しないでも塗れるという事です。


雑巾

要するに墨拭用の布
木綿が良いです、最近はアクリル繊維が多く、これは吸水性がありません。
なければまたまた100均の墨拭きガーゼ、2枚入りです、
これを濡らして絞って使います。


事務用腕貫カバー


これも、私の技法ではほとんど毎回使うものです。
机等の汚れなどが衣服に付着するのを防ぐためのものです。



以上でだいたい必要な用具の説明が整いました。



作品制作

始める前に、1つだけ注意点を・・・・・・
「まだですか~~~」
これだけの道具を揃えなければ始めることは出来ないのか?
と言う疑問が生まれるでしょう。
子供の使っていた筆や絵の具があるから・・・・・

描けないことはありません、ただ目的とはかけ離れたものになるでしょう
プロならば、どのような条件下でもそれなりの成果は出さねばなりませんが・・・・・・

通常は投げ出す言い訳の一つになります。

プロは最高の道具を使って、最高の作品を描こうと、それでも努力します。
アマチュアが整った道具を用いないで何かをしようとしても、それは物になりません

私は、手の抜けるものは抜いております。

普段つけていると、なくした時に大変だから、ダイヤの指輪は金庫にしまっておき、
ジュリコンやスワロスキーをはめる方もお有りですが、そんなことしても
顔に出ます「バレはしないか」と!いう心理が


心理というものは、心の奥底のひだひだの隅っこにあるものですが、
それはまた、必ず顔の何処かに見え隠れしているものです。

それよりもスワロが本物に視えるような雰囲気を持ったほうが本物らしく見えます。
それは割り切っているからです。

水入れをバカラのクリスタルカットのボールに変えても、ペットボトルにしても、
絵には何も影響はありません、心理満足も大切な要素かも?。

但し、水は非常に影響が出ます。
良い水、これは水の分子(クラスター)が小さい程、絵具の発色が良い
理由は、紙の繊維の奥まで顔料が届くので、深みが出るのです。
クラスターが小さければ、紙の繊維の奥に入り込み、染まりますが
大きいと繊維の間に挟まった状態になり、光の透過率が下がって薄く見えます。
書家の人で、この水をブレンドして目的の色やにじみを出している作家も居ます。

水道は駄目と言っているのではなく、究極は限界が深いという話です。

水道で充分です、最もカルキによって絵具が変色することはやむを得ませんが、
それは何年も経過した時のこと、問題にはなりません。


個性とは、他人が持っていないもの
ようするに誰でも持っているものなのです、認識するかしないかだけ

人の作品と見比べて、自分の作品を評価しないことです。
自分の作品を比較することで個性が育ちます。

自分の物差しで人を計らず、人の物差しで自分を語らないこと。
どんなに頑張っても鳩は孔雀になれません、逆も又同じでしょう?

それぞれに良いところがあるのです、それを活かすことが個性を育てることです。

私の師が「褒めるところがない、でも瓦屋根の色が良い」これがそうですね。

初めて絵筆をとって、絵がかけるものでしょうか?
もっともな質問ですね。


描けます、少なくとも私の技法はそれを可能にします。

そのための様々な工夫やノウハウがあり、これは見た目だけでは
なかなか盗み取ることは難しいと思います。

この葉っぱの雰囲気はどうやって描くのですか?

「ヒ・ミ・ツ」・・・・ 冗談ではなく、私の言う通りに描けば、誰でも描けますよ!


さて,ウンチクはここへんで、実技に入りましょう。




筆先を豆の背中部分
に沿わせながら、タップリ色を含ませて左右に引き伸ばす
数回左右に動かしながら形を整える。

最後の筆運びの時に、穂先を背中に合わせて左右どちらかの先まで運んで
そこで筆先を紙面から上げる、こうすることで背中のスジの部分だけが色濃く残る

通常の絵では、筆を平らに寝かせる描き方はしませんね、
太い筆で適当に抑えればその面は描けますから。

でも、細かい芸を併せ持つ私の描き方には不向きです。
必要な絵具の量が含めれば良いのです。

乾かない内に次の作業に取り掛かるには、必要最小限で良いのです。

私の絵手紙は活き造りです。



次に、洗った筆を、きれいな水に少し浸し、余分な水分をフキンで吸い取らせて
豆の形になるように、円く擦りながら色を抜く。

これを繰り返して、豆の膨らみが感じられるように拭い取る


豆の先端部分を描き加え、ガク(ヘタ)の部分を書き加える
最後に枝の付け根を描き込み、枝が裂けた感じに赤印の方向に
指先でこすってカスレさせる。

(本来は渇筆と言う技法を用いますが
それは運筆や速度など経験が必要な高等テクニック! 
まずは、このこする方法で充分です。



仕上げは文字と言葉

「いつでもまめがいい」
文字は豆を取り囲むように右から左へ書き進み、また右へと戻る

豆とマメ(元気)を引っ掛けたシャレですが、読む相手の素養によって
いくらでも深読みできます。

は 2つの文字の間に打ち、左右の拡がり感を強調するとともに
上下の言葉を繋ぐ役目も持たせている


マメが枝から離された所に命の痕跡を感じさせる手法
これは生花の奥義「切って繋ぐ」技法の応用です。
同じ考え方に、着物の帯締めがあります、これも上下を別なもので切り離して
強調しながら繋ぐという美学なのです。


注意点
なかなか背中がうまく反らない、どうしてもまっすぐ平行になりがち。
この部分を飲み込めば、マメらしくなります、が

あまりこだわることはありません。

生理的には、マメは背筋にぶら下がって成長するので
其処が背骨のような感じになっているだけなのです。

出来上がったら、さっそく額縁に入れましょう
これこそ最後の仕上げです。

1枚の紙切れが大変身します。

大きさはデッサン用インチサイズ(254☓203)
またはB5(257☓210)サイズ、少し余裕の太子(379☓278)が手頃です。


あくまで飾る場所から選択します。


額縁やマットを交換すれば、又様々なイメージに変える事もできます。
この辺りも楽しみの一つになります。


習うより慣れろ

素晴らしい言葉であり、勇気づけられます

でも、もう一つこんな言葉もあります。
「学はマネぶから発生している」

さて、あなたはどちらからアプローチしますか?

習うより慣れろ!スポコンの代名詞みたいですね。

これは手探りのまま走ることで、行く手は難問だらけ
でも確実に自分の物になることは間違いありませんね、これが良いところ。

もう一つの真似ぶ・・・・・

この落とし穴は、1800年台江戸中期 個性派の代表格伊藤若冲がいる。

彼の信念は「師に付けば、師を超えることならず」でした。

習うとは、師の持っているものを習うため、師を超える感性を磨くことは望めない
そんな意味合いを持っているように思います。


伊藤若冲

彼ほどの強烈な個性を持っていればそれも一理あります
その道は手探りであり、イバラの道でしか無いことは判っていたことです。

真似ぶ とは、手本を見ながらまずは真似る
それが上手く描けるようになったら、自分の解釈や考え方を反映させる

それを汲み取って伸ばすのが本来の師の役目
そうすれば師を超えて伸びるものも現れる

その為には師の懐が深くなければならない、肝要というのではなく
洞察力も必要になる

これは教える側に大変な努力を求めて来る

習えば1年で出来る事を、独学だと3年5年かかることもある
でもその時間は無駄ではない、努力した分だけは身に染み付いているから

教えるために一定の決まりを作れば、指導する時に楽になるのもある

私は、絵手紙を指導する際、常に「こんな感じ」と言う表現をします。

これは物事を断言するのではなく、一定の幅を持たせ、各自が自由に感じる
余地を残す
、それを目的にしているからです。

例えば「丸い感じ」この意味は「丸ければ少々どうだっていい」と言う含みです。

それでも三角に書けば「あ~~~もしもし!」と 言うだけです。

全体の感じが丸っこく感じれば、丸ければいいのです。

100人いれば100人が見分けが付くように、一人ひとり違いますが、
みな人間の顔ですそんな意味合いです。

例えば表題の椿
「エッ ?アレは椿ですか?」

トトトッ  そうです、椿のつもりです、山茶花ではありません。

どう違うのですか?
山茶花の葉は細長いのです、椿は基本的には丸っこいのです。

描く時は「花びらが5枚感じれればよろしい」

それだけです、ですか、自由に形を取ることができるし、少々歪でも構わないのです

椿はこれでなければと言う決まりなんてありませんし、同じ花はありません

哲学書みたいになりましたが、描く前に自由なイメージを持たすためで

自分で自分を縛ってしまわないようにする訓練です。

これまでに述べてきた事を振り返りながら、もう1枚えんどう豆の絵を
描いてみて下さい、きっと新しい味わいのある絵が描けると想います。

それは、真似びながらも、自分の気持ちに沿った動きがあるからです。

りんごを描いても、特級品の、形もつぶも揃った物だけがリンゴではありませんね
少々歪でも、不揃いなリンゴごだって立派にりんごだし、味もみかんの味はしません。

「俺だってりんごなんだァ!」それで良いのです、それこそが描き手が感じ、
表現したりんごなのです。

その気持に沿った言葉を探し、表現する事で、全体が1つの表現に完成するのです。

少しは上手く描く事にこだわらなくて良いという勇気が
湧いて来ましたか?

ある写真家が言ってましたが「ここだ!と言うチャンスにシャッターを切っても
100枚の中に1枚でも気に入ったものがあれば素晴らしい」

決して、下手な鉄砲数打てば当たる、そんなことではないのです。

1枚1枚が真剣であれば、結果はどうでもよいのです、結果が全てではなく
過程での作品との対話や、思考が宝になるのです。


自分の価値観を持ちましょう!

「俺 ピカソ1枚持っているよ」
「へ~~凄い!!で、幾らした?」
これってお金でしか価値を測れないということでしょう?

少なくとも、好きか嫌いかの判断は持ちたいものですね。

私は、最初に言いましたが、心を癒されるものが上質なものだという
認識を持っています。

初期のピカソには素晴らしい具象作品が多々あります。
よく知られているピカソは、ピカソ自身が素晴らしいのであって、
絵だけが素晴らしいとは限りません。


10代のピカソが描いた作品
作品の向こう側に、作者が視える・・・・・・・
これが心を癒す大切な要素だと私は想います。

絵が温もりを持っているのではない、作者の人柄が作品に
反映しているからなのです。

版画の世界がありますが、数十枚数百枚刷って、全てを売るという行為は
単なる商売

その中で、たった1枚気に入ったものが出来たら、他はすべて焼却してこそ
作品と呼べると想うのですが。


このように、文章を読みながら、自分の作品に対して取り組むスタイルが
生まれてきます。
跡は実践しながら、何度も読み返して肉付けして下さい。

あるガラス作家が、1日焚き続けるお金もなく、やむを得ず生煮えのガラスで
作品を作りました

生煮えのために、泡がたくさん出てしまいました。
商品としては決して良い物とはいえません、割れやすいという欠点を
抱えているからです。

でもそれがメディアに乗って売れたのです「泡ガラス」と言う名前で・・・・・・・
その頃作品が冷める段階で、安定せず作品の肩や首が
少し曲がってしまったものが出来ました。

でもそれを「あるがまま、なるがまま」の良さと評価されたら、多くの作家が
それを真似て、皆首を骨折したり傾げたり肩を歪めた作品のオンパレード・・・・・・

自然になってしまったものと、意図して造られたものでは、似通っていても
段階は違います。

でもそれがわからない購買者は、喜んでそれらを買っているのです。

作家は「罪なものを創ってしまった」と後悔していましたが。


茶人、千利休の師で武野紹鴎と言う人が居ましたが、「侘びの文」の中で

『侘びと云ふこと葉は、故人もいろいろに歌にも詠じけれども、

ちかくは正直に慎み深く、おごらぬさまを侘びと云ふ。

 一年のうちにも十月こそ侘びなれ』


こう残しています。

正直に、慎み深くおごらぬ様・・・これこそあるがままの姿ではないでしょうか?


知る事は生かせる事に直結していますが、知らなければ全くゼロと同じです。

知識は、知る事を意識すること、意識することで生き方や態度などが変われます。

戦後の日本は「知育・徳育・体育」の中から徳育を消し去りました。
そのツケがいろいろな形で噴出しているだけです。

徳育は日本人の誰の心にもあるもので、他者への思いやりもその一つです。
花を愛でる気持ちは、花への思いやり、其処から優しさも生まれると思います。





    たらし込み技法で書いた 「蛍」

予め水で文字を書き、淡墨や、乾かないうちに濃墨をたらしこんで味わいを出す。
にじみの少ない紙に用いる技法
この技法を用いてグラーデーションを創るのが、うんぜん模様と呼ばれる意匠


鯉のぼりの鱗のような感じと思えば想像がつきやすいでしょうか?









               心象派絵手紙詩人  はるのゆうに
                   
心象派絵手紙講座
絵手紙詩人 はるのゆうに
華やかに 藪の中
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